まさか、私が不妊治療を始めることになるとは思ってもみなかったことでした。
結婚したら普通に赤ちゃんがてきてお母さんになれる、それが当たり前の事だと思って生きてきました。
しかし、私達夫婦には5年に渡る辛く厳しい妊活生活が待っていたのです。
顕微授精をはじめるまで
私が妊活を始めたのは29歳の時でした。
仕事は看護師として毎日病院勤務をしていましたが、通院のため有給も消化してしまいなかなか仕事と妊活を両立することが難しくなったため、ストレスのない中で妊活に励みたい理由から退職することになりました。
結婚後なかなか自然妊娠をしなくて、年齢的な事もあり夫婦で婦人科受診して問題がないか検査してみることにした結果、旦那の原因によって体外受精でしか子供を授かる道はないとのことが判明しました。
この現実が受け入れられなくて毎日のように泣いて悩んで、落ち込む日々でした。
しかしその一方で、あぁ体外受精をしたら赤ちゃんができるかもしれないんだ、一回か二回頑張ったら赤ちゃんできるんだ。
という気持ちもあり、少しずつ前を向いて治療に励んでいけるようになりました。
しかし私たち夫婦は体外受精よりも難易度が上がる顕微授精というものをしないと難しいということが分かり、顕微授精をすることとなりました。
何回受精卵を返しても妊娠しない辛さと治療費用の工面
私達夫婦は赤ちゃんを授かるために顕微授精を始めました。
始めた頃は正直一回か二回挑戦したら授かるだろうという考えでした。
しかし良い卵ができても移植をしたら着床しない、着床しても科学流産になるという繰り返しでいつの間にか採卵は10回、胚移植は7回にもおよんでいました。
毎回結果に落ち込んで泣きわめき、イライラも募り旦那とも喧嘩にもなりながらの5年間でした。
辛かったけど、赤ちゃんが欲しい気持ちがすごく大きかったため諦めることもなく一心不乱で頑張ってきました。
治療していくなかで大変だったことの中に、治療費の工面でがあります。
少しの貯蓄があった私は仕事を辞めてからも貯蓄を崩しながら治療費に充てて何とかしていましたが、一回の採卵と移植で約60万ほどかかっていたため、遂には貯金も無くなりこのままでは治療を続けることが出来ない状態となりました。
するとそれを聞いた私の母とお姑さんが金銭的な援助をしてくれることとなり、お陰でなんとか治療を続けることができました。
市や県の助成もありましたが、本当に微々たるもので10回にも採卵が及んでしまった私には正直なんの援助にもなりませんでした。
家族の支援は本当に助かりました。
諦めた時にできるって本当だった
私達夫婦はとにかく必死で、絶対赤ちゃんを授かりたいという気持ちをもって頑張ってきました。
しかし治療が長くなるにつれ、私のストレスはMAXになり旦那に対してもイライラを募らせ、他の件で旦那に対して不信感が出てきていたこともあり本気で赤ちゃんを諦めた時期がありました。
もう離婚してやる、赤ちゃんもいらない、そんな風に正直思っていました。
しかし受精卵の凍結保存期間の具合もあり、破棄もできなかった私はダメ元で受精卵を子宮に戻しました。
すると驚くことに妊娠したのです。
諦めた時に出来るって本当だったんだ、そう思いました。
待ち望んで治療治療治療となっていた時期には授からなかったのに、諦めた時に本当に私達のところに赤ちゃんが来てくれました。
旦那とは色々ありましたが、妊娠したことで夫婦の仲も収まりましたし何よりお母さんになれて感無量でしかありませんでした。
たくさん辛かったことはありました。
子供がいる親戚との付き合いも辛かったし、外出先での親子を見るのも辛く引きこもったりもしました。
しかし、本当に諦めなくて良かったです。
大変だったけど、可愛い娘ができて幸せです。
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